戸田記念国際平和研究所は被爆80年に当たり、ケビン・クレメンツ所長(現名誉所長)による声明を発表すると共に、研究所所蔵の被爆地ヒロシマの当時を復元した映像など貴重な歴史資料を公開しました。合わせてこれまで研究所が発信した「核兵器」に関連する論考を紹介しています。「核兵器廃絶」を創立の原点とする研究所として、これからも世界が直面する平和への課題解決のためさらに尽力して参ります。

 戸田記念国際平和研究所は被爆80年に当たり、ケビン・クレメンツ所長(現名誉所長)による声明を発表すると共に、研究所所蔵の被爆地ヒロシマの当時を復元した映像など貴重な歴史資料を公開しました。合わせてこれまで研究所が発信した「核兵器」に関連する論考を紹介しています。

 「核兵器廃絶」を創立の原点とする研究所として、これからも世界が直面する平和への課題解決のためさらに尽力して参ります。

所長声明

ヒロシマ・ナガサキから80年:
記憶、責任、そして核兵器の将来

ケビン・P・クレメンツ
戸田記念国際平和研究所所長(現名誉所長)

2025年8月は、広島、長崎への原爆投下から80年の歴史を刻む。

1945年8月6日の朝、広島の街はわずか1分足らずで生き地獄と化しました。午前8時15分、米軍はB29爆撃機エノラ・ゲイから世界で初めて戦争で使われた原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。数秒のうちに35万人の都市は炎と放射能に包まれた。何万人もの人々が一瞬のうちに焼き尽くされた。1945年末までに推定14万人(ほとんどが民間人)が命を落としました。そして8月9日には長崎に原爆「ファットマン」が投下され7万人以上が犠牲になった。

今日、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から80年を迎えるに当たり、私たちは破壊の規模を思い起こすだけでなく、ヒロシマ・ナガサキが提起した永遠の教訓、政治的、現実的な問いに向き合うよう求められています。この日は単なる歴史の節目ではなく、警告であり、挑戦なのです。

犯罪と転換点

広島への原爆投下、そしてその3日後の長崎への原爆投下は、戦争における最初で唯一の核兵器の使用となりました。米国は原爆投下を、第二次世界大戦を終結させ、日本への地上侵攻を回避して人命を救うために必要であったと正当化しました。しかしこの言説は、歴史家、倫理学者、そして被爆者たちによって強く否定されてきました。

日本軍の高官はすでに降伏を検討しており、アイゼンハワー将軍を含む米軍の一部も原爆投下に反対していました。また、原爆投下は地政学的な意味合いもあったと主張する声もあります。ソ連に対する力の誇示であり、それが冷戦の下地を作ったと。 

どのように正当化しようとも、道徳的な意味を否定することはできません。広島、長崎は戦場ではなく都市であった。殺された人々の大半は、子ども、教師、医師、高齢者など民間人だった。生き残った人々は想像を絶する苦しみに直面した。放射線による火傷、癌、心の傷、そして生涯にわたって続く周囲からの偏見というものです。

被爆者の声

何十年もの間、被爆者は自分たちと同じ苦しみを味わう人がいなくなることを願い、体験談を語ってきました。広島に原爆が投下されたとき13歳だったサーロー節子さんのような被爆者の方々の声は、核兵器に反対する世界的な運動の中で強い力となっています。

「私は白い閃光を見ました。吹き飛ばされ、倒壊した建物の下敷きになりました。助けを求める同級生の声が聞こえましたが、彼女たちを救うことはできませんでした」。これらの証言は単なる歴史的な記録ではなく、世界への道徳的訴えです。被爆者が年を重ね時が過ぎても、「二度と繰り返してはならない」というその切実なメッセージは不変のものです。

ヒロシマ・ナガサキの遺産

原爆投下は核時代の幕開けとなり、戦争と外交の在り方を永遠に変えてしまった。原爆は大戦後の軍事力の基礎となり、特に冷戦時代には、米ソ両国が破壊力を増した核兵器の製造にしのぎを削ってきました。

数十年にわたる軍備管理の努力にもかかわらず、現在でも1万3000発以上の核兵器が存在し、その多くが警戒態勢にあります。現代の核兵器1発は、ヒロシマに投下された原爆の何倍もの威力がある。核兵器は9カ国が保有しており、偶発的あるいは意図的に使用される危険性は、依然として恐ろしいほど現実的なものとなっているのです。

1945年以来、ヒロシマ・ナガサキは平和と追悼の世界的なシンボルとなっています。広島平和記念公園と象徴的な原爆ドームは、破壊と回復の両方に対する人類の能力を思い起こさせる存在といえるでしょう。

核軍縮:前進と抵抗

希望の瞬間もありました。1968年に成立をみた核拡散防止条約(NPT)は、各国に核軍縮に取り組むことを約束させました。しかし、残念なことに核保有国が誠実に軍縮交渉を行う義務は未だに果たされていません。

最近では、2017年に核兵器禁止条約(TPNW)が国連で採択され、核兵器のない世界へ至る法的拘束力のある道が開かれました。90カ国以上が署名していますが、核保有国は1カ国も署名していません。

ここで着目すべきは、こうした核廃絶へのうねりを作る市民社会の行動です。例えば、TPNWの採択・推進に貢献し2017年にノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)や、共に手を携えて進むSGI(創価学会インタナショナル)のような団体であり、平和を願う世界の市民社会団体や若者による運動を糾合し、被爆者、科学者、外交官たちと協働し、各国の政府や政治リーダーに核軍縮を強く働きかけ続けています。彼らは、「抑止力」は神話であって、真の安全保障は破壊ではなく協調のなかにあると主張しています。

付言すれば、このSGIの源流である創価学会第2代会長の戸田城聖氏こそ、すべての核兵器の完全廃絶を早期から主張した人物です。1957年に青年たちに向けて「原水爆禁止宣言」を発表し、核兵器は人類全体の生存の権利を脅かす悪魔的存在であると述べ、それを使おうとする人間の魔性を克服する「内なる変革」こそが必要であると確信していたのです。

しかし私たちは今、抵抗に直面しています。多くの国で核ドクトリンは依然として軍事戦略の中心として考えられており、宇宙やサイバー空間といった場所で新たな軍拡競争が進行しています。ヒロシマ・ナガサキは、核兵器が抽象的な戦略の道具ではなく、大量殺りく兵器であることを私たちに思い起こさせているのです。

危機の中での想起

世界が不安定なこの時、原爆投下80年を迎えました。ウクライナやガザでの戦争や米中間の緊張の高まりに見られるように、核兵器のエスカレーションの脅威は非現実的な恐怖ではなく、現実のものです。INF(中距離核戦力)全廃条約などの軍備管理協定は破棄され、来年の新START(戦略兵器削減条約)の更新交渉は難航している。外交規範と予防外交は破綻しつつある。これらの要素が重なり、危険をさらに高めているのです。

このような状況において、二つの街の悲劇を想起し思い起こすことは、大規模な暴力の常態化を否定し、都市を消滅させ得る兵器の正当性に疑問を投げかけ、外交、正義、軍縮に再び取り組むことを政治に促す契機になります。

教育と次世代

被爆者が高齢化するにつれ、被爆体験を語り継ぐ責任は若い世代に移っていきます。彼らが被爆の実相を語り、そしてより広く、核兵器の倫理に関わる教育を行うことは非常に重要です。また歴史としてだけではなく、力、暴力、そして人間の未来についての批判的思考(クリティカル・シンキング)の方法としても学ぶ必要がある。学校、大学、メディアは、ヒロシマ・ナガサキが単なる脚注や軍事的事例研究に終わることのないようにしなければなりません。それらは、私たちが築こうとしている世界を検証するための道徳的レンズなのです。私たち戸田記念国際平和研究所は、全ての大量破壊兵器の廃絶に最大限の努力をしていく決意です。

行動への呼びかけ

この悪魔的な兵器が使用されてから80年を経て、そのトラウマ的記憶が私たちに行動を促しています。悼むだけではなく、私たちの政策、政治、そして優先事項を変革するためです。

  • 各国政府に対して:軍縮を約束し、軍備管理条約や軍縮条約に加盟または再加盟し、軍事よりも外交を優先させる必要がある。
  • 教育者に対して:誠実さと思いやりをもって、ヒロシマ・ナガサキの歴史と倫理的教訓を教えることが不可欠である。
  • 活動家と市民に対して:核兵器に執拗に依存する指導者の責任を追及し、組織化し、主張することが極めて重要である。
  • 私たち全員のために:失われた人々の名前、顔、それぞれが生きた人生を想い起こし、二度と核兵器が戦争に使用されることのないよう努力を続けていこう。

結論:記憶から責任へ

ヒロシマ・ナガサキの物語は過去の話ではありません。それは私たちが今行うべき選択についての物語です。未だキノコ雲に脅かされている世界において、被爆80年は追悼の日であると同時に、使命の日です。人の命が軍事力よりも重んじられ、都市が大量破壊兵器の実験場となるのではなく、文化とつながりを生み出す場となる未来を築くための。

あきらめではなく、決意をもってヒロシマとナガサキを思い起こしましょう。そして原爆により直接的・間接的に被害を受けられた全ての人々とともに声を大にして言おう。「二度と繰り返してはならない」と。

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映像/制作者について

戸田記念国際平和研究所は、映像プロデューサーの田邊雅章氏が「広島・被爆地復元映像プロジェクト」として制作してきた映像資料を、核兵器の非人道性を後世に力強く継承し、核兵器なき平和な世界の実現のための研究資料として、長年にわたりその保管と活用に努めてきました。

この度、被爆80年の節目に当たり、被爆体験を継承し、原爆の実相を後世に伝えること、そして平和の精神を涵養するという本映像制作の目的に、より一層寄与していくため、映像資料をウェブ上に掲載することにいたしました。

制作者の田邊雅章氏は、原爆で父母と弟を失い、自らも入市被爆していますが、一連の作品は原爆投下前の広島市中心部の姿を詳細な調査や聞き取りを通じ映像的に復元しようとするもので、約17年をかけて制作されたものです。

一発の原子爆弾によって広島の街は廃墟と化しましたが、そこには庶民の日常の暮らしがあり、幸福な家庭がありました。一瞬にして全てを奪った原爆の悲惨さと実相を、そこで生活していた人々の目線から描き出した労作となっています。

映像

  • 『知られざるヒロシマの真実と原爆の実態』(短縮/普及版)

    2015年制作
    短縮普及版:41分

    爆心地に近い広島県産業奨励館(原爆ドーム)のすぐそばで生まれ育ち、奇跡的に被爆を免れて生き残った作者が描く、ヒロシマの記録映像。戦後70年の節目に制作された本作は、原爆を実際に体験した人々の証言から、当時の日常、生活、人々の暮らしを可視化して再現し、原爆が一瞬にして地上から消し去ったもの、破壊の惨状、そして非人道性を描き出す。

  • 知られざるヒロシマの真実と原爆の実態』(フル)

    2015年制作
    フル:60分

    爆心地に近い広島県産業奨励館(原爆ドーム)のすぐそばで生まれ育ち、奇跡的に被爆を免れて生き残った作者が描く、ヒロシマの記録映像。戦後70年の節目に制作された本作は、原爆を実際に体験した人々の証言から、当時の日常、生活、人々の暮らしを可視化して再現し、原爆が一瞬にして地上から消し去ったもの、破壊の惨状、そして非人道性を描き出す。

  • 『ヒロシマ・グラウンド・ゼロ』~あの日、爆心地では~

    2005年制作
    短縮普及版:51分

    原爆で被災する前に、広島県産業奨励館(原爆ドーム)周辺に広がっていた細工町。証言、写真資料をもとに、原爆投下の午前8時15分までの街と暮らしをCGを用いて映像化し再現する。爆心直下にあった人々の営みと、炸裂直後の凄惨な光景を、証言に基づいて描き出す貴重な記録映像。

  • 『爆心地猿楽町復元』

    2002年制作
    時間:51分

    本編は、原爆で消えた町「猿楽町」の街並みを、被爆者の証言、当時の写真、資料をもとにCGを活用して詳細に復元した。また、被爆の瞬間とその後の惨状を、目撃者の記憶とともに描き出す。原爆がこの地上から一瞬にして消し去ったものとは、そして原爆が生み出した破壊の惨劇とは。貴重な証言に基づくドキュメンタリー。

  • 『HIROSHIMA LOST』

    2015年制作
    短縮普及版:41分

    『知られざるヒロシマの真実と原爆の実態』の英語版
    This documentary was created by an author who was born and raised near the Hiroshima Prefectural Industrial Promotion Hall (now the Atomic Bomb Dome), close to the hypocenter, and miraculously survived without being exposed to the bomb. Produced to mark the 70th anniversary of the end of World War II, the film visualizes and reconstructs the everyday life, routines, and people of that time through testimonies of those who actually experienced the atomic bombing. It portrays what was instantly wiped out from the earth, the devastation caused by the explosion, and the inhumanity of the atomic bomb.

戸田平和研究所の核兵器に関する論考(抜粋)

これまで戸田記念国際平和研究所では、「核兵器」をテーマに取り上げた「政策提言」や「グローバル・アウトルック」(GO)など多くの論考を発信してきました。そのうちウエブサイト日本語版に掲載された論考の中から主なものを紹介します。

<政策提言239> 核兵器に対する懐疑論者の見解

ラメッシュ・タクール(戸田記念国際平和研究所上級研究員) | 2025年8月6日
政策提言
 

<政策提言139> 「核軍縮と国連改革」(要約版)

ラメッシュ・タクール(戸田記念国際平和研究所上級研究員) | 2022年11月
政策提言
 

<政策提言110> 「核兵器禁止条約と日本」

小溝泰義(元外交官、広島平和文化センター元理事長) | 2021年6月
政策提言
 

<政策提言104> 「人道イニシアチブと核兵器禁止条約」(要約版)

アレクサンダー・クメント(オーストリア外務省軍縮局長) | 2021年2月
政策提言
 

<政策提言100> 「核兵器禁止条約:ロシアの視点」(要約版)

ウラジミール・バラノフスキー(ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所理事) | 2021年1月
政策提言

<GO200> 「韓国にとって核武装は『ルーズ・ルーズ・ルーズ』」

文正仁(ムン・ジョンイン)(延世大学名誉教授) | 2023年3月3日
グローバル・アウトルック
 

<GO160> 「核共有への懸念: 核軍備管理に痛手」

ハルバート・ウルフ(ボン国際紛争研究センター元所長) | 2022年7月23日
グローバル・アウトルック
 

<GO150> 「核不拡散から核兵器禁止と核軍縮へと至る道筋: ロードマップ、ロードブロック、スピードバンプ」

ラメッシュ・タクール(戸田記念国際平和研究所上級研究員) | 2022年6月28日
グローバル・アウトルック

<GO31> 「核兵器禁止条約を推進するために」

ティルマン・ラフ(核兵器廃絶国際キャンペーン=ICAN=共同創設者) | 2021年2月16日
グローバル・アウトルック
 

<GO20> 「核兵器国は使用後責任を受け入れるか?受け入れないなら、それはなぜか?」

ジョージ・パーコビッチ(カーネギー国際平和基金副所長) | 2020年12月17日
グローバル・アウトルック

戸田記念国際平和研究所は、政策指向の平和研究と実践を通じて、
より公平で平和な世界の推進に取り組む、独立した不偏不党の研究機関です。