協調的安全保障、軍備管理と軍縮

グローバル・アウトルック No.434

体制転換―うまくいくこともあるが、たいていは失敗する

ハルバート・ウルフ

ドナルド・トランプは、戦争を終わらせることを公約に掲げて選挙戦を戦った。ベネズエラでの成功後、彼は自らの軍事的成果に酔いしれ、複数の国での体制転換を見込んでいる。

米軍は、ベネズエラの指導者ニコラス・マドゥーロとその妻を迅速かつ断固たる行動で拘束し、米国へ連行した。カラカスの現政権は、もはや米国の意向に大筋で従うほかない状況に置かれている。一方、イランに対する戦争をめぐるトランプの狙いは、なお不明確なままである。その理由の一端は、同氏がさまざまな説明を口にしてきたことにある。すなわち、イランの核開発計画を最終的に破壊するため、中東に対するイランの脅威を終わらせるため、イラン国民を支援するため、そしてイランの「ひどい体制」を打倒するため――という具合である。だが、その論理は曖昧で、体制転換についても思いつきのように語っている印象が否めない。トランプは、この戦争の終わり方についても大げさな構想を抱いていたようだ。同氏は「無条件降伏」を唱え、その後継指導者の選定にも自ら関与すると示唆した。つまり、「イランの次の指導者を選ぶには、自分が関与しなければならない」と言わんばかりである。

しかし、イランに対する電撃的勝利は実現せず、戦争終結の見通しも立っていない。しかも、新たな指導者はトランプの関与なしに選ばれた。ムッラー体制の統治構造は極めて強固であり、指導部を急襲して排除すれば体制転換が起きるという期待は現実にならなかった。それでもトランプは、「ベネズエラで我々がやったことは、私の考えでは完璧な、まさに完璧なシナリオだった。」と語っていた。米誌「アトランティック」は、この姿勢を「国家全体に対する敵対的企業買収」と呼んでいる。いまや米政権はキューバにも「降伏」を求めている。エネルギー供給を事実上断たれ、経済が崩壊状態にあるキューバについて、トランプは「やろうと思えば何でもできる」と述べ、ディアスカネル大統領の退陣を要求している。

企業の世界では、敵対的買収が成功することもあれば、失敗することもある。トランプが描く「政府の迅速な降伏」も同じである。イランに関して言えば、同氏はウォール街的な戦略に惑わされていた。無責任にも、爆撃開始前からイラン国民に対し、政府を打倒するよう呼びかけていたのである。だが、イランでの体制転換という話は、いまや忘れ去られつつあり、トランプ自身も民主主義については無関心に近い。彼の関心は、原油価格を引き下げ、株価を押し上げることにある。

過去からの教訓

体制転換――すなわち政権中枢を入れ替え、米国にとってより都合のよい政府を据えるという発想――は、米国外交において新しいものではない。体制転換の支持者は、しばしば日本やドイツを民主化成功の好例として挙げる。だが実際には、その目的は民主化そのものではなく、少なくとも第一義的には、米国と理念的に近い、あるいは米国に従順な政権を樹立することにある場合が少なくない。もっとも、国家安全保障戦略の中でモンロー主義の徹底をうたった、いわば「トランプ版補論(Trump Corollary)=ドンロー主義」もまた新しいものではない。実際には、それはすでにケネディ、ニクソン、レーガン、ブッシュの各ドクトリンの中に見られた発想である。

トランプの体制転換論と、カナダ、グリーンランド、パナマ運河に向けられた強硬な領土的野心は、1823年のモンロー主義、とりわけ1904年にセオドア・ルーズベルト大統領によって拡張されたその解釈を想起させる。このドクトリンは、ラテンアメリカへの米国の介入を正当化するものだった。20世紀初頭、米国は「自らの裏庭」とみなした中南米諸国に対し、軍事力と諜報活動を駆使して繰り返し介入した。たとえばコロンビアでは、パナマ運河支配のためにパナマ分離派を支援した。ドミニカ共和国には繰り返し介入し、キューバは1906年から1909年まで占領、その後もたびたび介入した。ニカラグアでは、いわゆる「バナナ戦争」の中で米企業ユナイテッド・フルーツの利益を守るために介入し、さらにメキシコ、ハイチ、ホンジュラスにも介入している。

「ニューヨーク・タイムズ」は最近、トランプの現在の体制転換への熱意は、ドワイト・D・アイゼンハワーのそれに最も近いと指摘した。1953年から1961年までの2期の在任中、かつて冷徹な計算高さで知られた将軍アイゼンハワーは、クーデターを次々と繰り返す悪循環に陥った。1953年、米国は「アヤックス作戦」により、選挙で選ばれたイランのモハンマド・モサデク首相の打倒に成功した。モサデクは英国資本の石油産業を国有化しようとしていた。クーデターはCIAの支援を受けて成功し、米国は傀儡としてモハンマド・レザー・シャーを据えた。シャーは、いわゆるイラン革命と1979年のアヤトラ・ホメイニ師による独裁体制成立まで絶対的権力を握り続けた。イランでの政権打倒に成功した後、アイゼンハワーはグアテマラにも介入した。大規模な土地改革を進めていた選挙で選ばれたハコボ・アルベンス・グスマン大統領は、1954年のクーデターで追放され、親米派のカスティージョ・アルマス大佐に取って代わられた。

この時期、米国政府は、特にアジア諸国がソ連陣営に接近するのを防ぐため、「ドミノ理論」も打ち出した。一つのドミノが倒れれば、他も連鎖的に倒れる、という考え方である。朝鮮戦争が休戦で終結したのもこの時期であり、ベトナム、ラオス、ビルマ、インドネシアなどが、アイゼンハワーの「ドミノ・リスト」に載せられた。しかし、CIAが展開した体制不安定化工作は、しばしば逆効果をもたらした。インドネシアやシリアでは、介入の後にかえって政権が強化された。さらにアイゼンハワーは、キューバでの米国の影響力喪失という問題をケネディに引き継いだ。1961年4月のピッグス湾侵攻の失敗――フィデル・カストロ打倒を狙った作戦であった――は、その後何十年にも及ぶキューバ封鎖の出発点となり、トランプはいま、それを体制転換によって終わらせようとしている。

近年における体制転換失敗の最も劇的な例は、疑いなく2003年にジョージ・W・ブッシュ政権下で始まったイラク戦争である。名目上の目的は、サダム・フセインを権力の座から引きずり下ろし、大量破壊兵器を廃棄することにあった。戦争によって体制そのものは崩壊したが、国連と米国の調査団は、現地で徹底的な査察を行ったにもかかわらず、大量破壊兵器を発見できなかった。さらに、イラクに秩序ある国家体制を築こうとする試みも失敗に終わった。こうした経験、そしてとりわけアフガニスタンへの20年に及ぶ軍事介入が悲惨な結末を迎えたことによって、体制転換という発想は決定的に信用を失った。

その含意は何か

外部から強制される体制転換の試みが教える最も重要な教訓は、介入はしばしば、本来は防止または解決しようとしていたはずの危機を、むしろ生み出してしまうということである。トランプにとって、忌み嫌うマドゥーロ政権を打倒する機会は、あまりに大きな誘惑であり、抗うことができなかったのだろう。

体制転換や民主化の試みを数多く検証した学術研究は、三つの重要な知見を示している。第一に、政権を単に排除するだけでは不十分だということである。たとえばイラクのサダム・フセインのように殺害する場合でも、あるいはベネズエラのように拉致する場合でも、その後に生じるのはしばしば混乱であり、国家崩壊であり、時には内戦である。そうである以上、今後のベネズエラ、キューバ、イランの展開を注意深く見守る必要がある。

第二に、体制転換後の民主化が成功する可能性は、その国にすでに民主主義の経験が存在していた場合の方が高い。しかし現実には、その条件が整っていない場合が多い。

第三に、もし真の目的が民主化にあるのなら(勢力圏の確保や石油供給の確保などではなく)、単に選挙を実施する(たとえばアフガニスタンのように)だけではなく、暴力を放棄し、開発援助と市民社会支援を柱とする長期的な取り組みを始める方が、はるかに有望である。

こうした知見に米政権が動かされるかどうか、あるいはそれを認めるかどうかは疑わしい。現時点で米大統領は、イラン政府の強い反発に直面しているにもかかわらず、なお高揚感に包まれている。しかも、その反発は驚くべきことに、同氏にとって予想外だったようである。かつて彼が掲げていた「無意味な戦争を終わらせ、新たな戦争は始めない」という約束は、いまや忘れ去られたかのようである。

ハルバート・ウルフは、国際関係学の教授であり、ボン国際紛争研究センター(BICC)元所長である。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学・開発平和研究所の非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所の研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会の一員でもある。